知れば知るほど面白いレゲエの世界! 入口までご案内!

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20代の3年間ほぼレゲエしか聴かないという生活を送っていた岩井と申します。
みなさんは”レゲエ”って聞いていかがでしょうか、ボブ・マーリー以外に何が思い浮かびますか?

「ボブ・マーリーは聴いたことがあるけど…」
「ボブ・マーリー以外に誰か居るの?」
「三木道山聴いたことある!」
「ショーン・ポールって人、兄が好きで聴いてた」
「ちゃんと聴いたことないけどたぶん好き」

今回のコラムはかつての私のように”レゲエを耳にしたことはあるけど”という、まだまだレゲエ沼から遠くにいらっしゃる方々をほんの少しだけでもレゲエ沼の近くまでお連れすることが目的のひとつ。落とす気はございませんが。

なお当コラムはかなりのボリュームですので上の目次リンクから気になるトピックへ飛んでいただく、もしくは覚悟を決めて上から順番にお楽しみいただければ幸いです。

そもそもレゲエってどういう音楽なんだっけ?

レゲエの誕生日についてはその他のジャンルの例に漏れず諸説ありますが、カリブ海の島国ジャマイカで60年代後半に誕生した音楽。ロックやソウルミュージックと年齢が近い、世界の音楽の中ではまだまだ若いほう。

元々ジャマイカには民族音楽をルーツに持つメントやラスタファリアン(ジャマイカで興った宗教の信徒)の音楽ナイヤビンギ、トリニダード・トバゴのカリプソなどなど多様な音楽があり、人々はその音を楽しんでいました。

一方では50年代にアメリカのジャズ、R&Bが流行しレコードやラジオ、ジャマイカ国内のミュージシャンによるカバーやオリジナル曲も演奏されていて、しだいに前述のルーツ音楽と混ざった結果ジャマイカ独自のポピュラーミュージックであるスカが誕生。
その後スカはアメリカのソウルミュージックに大きな影響を受けて変化したロックステディを経てレゲエ誕生!という流れ。

ではレゲエが誕生するきっかけとなったスカはどのようにして生まれたのでしょうか。

スカ以前

スカ以前にジャマイカの人々が好んだアメリカのジャズやR&B、それはとにかくリズムが刺激的で踊れる、踊りまくれる曲。
ジャマイカでヒットした曲の中にはホーンやギター、鍵盤といった楽器に2拍/4拍目(裏拍)のアクセントを強調させるという「もう少しででスカじゃん…」な曲もたくさんあります。
例えばロスコ―・ゴードンという人の「No More Doggin’」やワイノニー・ハリスの「Blood Shot Eyes」といった曲は初期のスカにとてもよく似た大きくスウィングするダンスチューン。

そしてジャマイカの人々がこの手の音楽を楽しんだ場所は”サウンドシステム”。
サウンドシステムというのはアンプにスピーカー、ターンテーブルを街角や広場などに設置して、皆でレコードを大音量で聴きながら踊る、言ってみれば移動式屋外ディスコ。
そこには選曲役や司会役もいて、お酒や食事もあって、ジャマイカで一番人気の娯楽。

初期のサウンドシステムを運営していたのは商店街で酒屋や金物屋などを営む人たち。
他所のサウンドシステムよりも人を集め、お酒や食べ物を売り儲けるために彼らは競うようにアメリカから新しいレコードを手に入れ、サウンドシステムでプレイしました。

しかし50年代半ばにロックンロールが誕生するとこの手のR&Bは衰退し、”皆が聴いたことないヤバいR&B”が手に入らなくなってしまったため、サウンドシステム経営者たちはジャマイカ国内で音楽を自給自足できないか模索するように。
そして各々録音機材を揃えミュージシャンを集めレコード制作に乗り出しました。

いよいよジャマイカに音楽レーベルやプロデューサーが活躍する時代が到来、ワクワクする!

ジャマイカ独自の音楽、スカ登場

最初期のスカとしてよく挙げられるのが59年リリースのセオフィラス・ベックフォード「Easy Snapping」という曲です。アメリカ産R&Bと同様に裏拍のアクセントが効いていますがまだ模倣の域にあります。
ほかにもこのような曲が製作される一方でスカを象徴するグループ、スカタライツが登場。

そして彼らの音楽が”スカ”というジャンルを決定的なものにしました。
ギターやピアノ、管楽器によって極端に強調された2拍4拍裏拍、3拍目に入るバスドラム。
踊らずにはいられない異形のジャズ~異形のR&B = スカが誕生しました。

当時のスカタライツの音を聴くならまずこのコンピレーションがオススメ。

ジャマイカは1962年にイギリスから独立をしており、この独立による高揚ムードと”ジャマイカ人によるジャマイカ人のための音楽の誕生”という出来事はめちゃくちゃ相性がよかったんじゃないかと思います。

そしてスカタライツをバックに様々なシンガーの曲が録音され、スカタライツのようなグループが各レコードレーベルで組まれ様々な曲が録音されました。
ちなみにボブ・マーリーもこの頃にはバニー・ウェイラー、ピーター・トッシュとの3人組、ウェイラーズとして「Simmer Down」や「One Love」といったビッグチューンをヒットさせています。
超有名曲の「One Love」、最初はスカだったんですね!

初期のウェイラーズはこんな感じ。

このアッパーな音楽、スカはしばらく流行し続けることになったのですが、当然いつまでも続くものではありません。
そして「独立したら全てが良くなる!」という国民の期待とは裏腹に、激化する2大政党「人民国家党(PNP)」と「ジャマイカ労働党 (JLP)」の対立やそれに伴う治安の悪化により、浮かれた独立記念ムードも少しずつ少しずつ後退していきます。
次第にそんな日々のサウンドトラックにピッタリな、スカよりもクールダウンした音楽が増えていきました。

ロックステディへの変化

67年頃から69年の約3年間ほど流行したのがロックステディ。
ざっくり言うとスカのテンポが遅くなったもの。

3~4人のコーラスグループによる甘めのメロディーを持つ曲が多く、スカと比べると音と音の間に隙間があるのでちょっと手の込んだアレンジをしている点も特徴で、ドラムとベースが空いた隙間でたくさん動けるようになり、スカではグルーヴの牽引役だったホーンセクションの音が控えめになっています。
ラブソングも多く後にイギリスで花開くラヴァーズ・ロックの原点とも言える音楽です。

最初期のロックステディと言われている曲として、66年リリースのホープトン・ルイス「Take It Easy」がありますがこの曲に関わったギタリスト、リン・テイトとキーボードプレイヤーのグラディ・アンダーソンという人がインタビューで「この曲はスカのセッションをしていたときに”なあグラディ、ちょっと遅くしようや”ってところから生まれたんだ」というような話をしていました。
そしてこの曲のヒットを目の当たりにしたサウンドシステム経営者たちは遅い曲の録音をしまくるわけです。

この年のジャマイカは猛暑でみんな踊るのに疲れたからダウンテンポな曲が流行った、という冗談みたいな話もありますが、どこかのサウンドシステムがある晩に遅い曲をかけたら大ウケ → 遅い曲が流行る!はやく俺達もこういうやつ作ろう!→ 遅い曲ブーム到来..というビジネスライクな流れだったんじゃないかと思っています。

他に重要だったのはアメリカで流行していたソウルミュージック。スカに影響を与えたR&Bと比べると、より洗練されたこの新しい音楽からの影響もかなり受けています。
影響どころかカバーも多く制作されてますがどれも最高。

特にカーティス・メイフィールドがいたインプレッションズはジャマイカでも人気で、彼等の「Minstrel And Queen」をテクニークスがタイトルを変えカバーした「Queen Majesty」や、ユニークス「Never Let Me Go」、「Gypsy Women」なんかがいい例。

マーヴィン・ゲイのあの曲やテンプテーションズのこの曲のロックステディカバー、ぜひぜひ探してみて下さい!

他にも紹介したいとこですがサブスクのプレイリストを頼っちゃいます。

そしてレゲエが始まった

68年~69年頃になるとロックステディはさらにテンポを落とし、よりヘヴィなドラム&ベースを聴かせる曲が現れ始めます。
例えば68年リリース、リー・ペリーの「People Funny Boy」やトゥーツ&ザ・メイタルズの「Do The Reggay」といった曲がこれに当たります。

ロックステディ~レゲエへ変化する過程の面白いところが「ロックステディよりテンポが速くなったという解釈もできる」こと。
一概には言えませんがロックステディのBPMがだいたい110~130だったとして、レゲエはBPM70~90。これを倍にしたBPM140~180と捉えても踊れるなんとも絶妙なリズムなのです。

実際に当時を知るミュージシャンの中には”レゲエはロックステディを速くした”という事を言う人も居ますし、コンサートの映像を見ると速いテンポで踊りながら演奏してたります。

リリックのテーマもシリアスな物事を扱うパターンが増え、「People Funny Boy」ではリー・ペリーが当時の雇用主を非難する内容で「成功し富を得た者たちが、そうでない人たちの事を気にも留めないようになり、いつしか搾取する側へと変貌してしまう」ことを歌っています。
冒頭から「Why,Why People Funny Boy(何がそんなに面白れえんだよ?)」と威勢が良く、レベルミュージックとしてのレゲエの萌芽と見ることもできるでしょう。怒りの相手が政府や社会ではなく元雇い主というところがリアルで良い。

ロックステディからレゲエへ変化する途上の代表曲!

トゥーツ&ザ・メイタルズ「Do The Reggay」においては綴りは違えど「レゲエ」という言葉が使われており、68年にレゲエが誕生したという意見が多いのも納得です。

またこの2曲にはリズム面でも大事な点があります。
70年代に流行したルーツレゲエには特徴的なリズムパターンがいくつかあり、それぞれ名前もついてたりするのですが、最初にレゲエを象徴するリズムとなったのが「ワンドロップ」というパターンです。
それは4拍あるうちの3拍目だけにバスドラムを鳴らすというかなり個性的なスタイル。
3拍目にはバスドラムと同時にスネアやリムショットを入れ、より強調することが多いです。
※バスドラムを1・3拍目に入れ、スネアを2・4拍目に入れるとなじみのある、ロックやポップスで登場するビートになります。

上に挙げた2曲、輪郭はまだぼやけているもののかなりワンドロップ度が高くレゲエの時代がすぐそこに来ている感じがヒシヒシと伝わってきます。

そして時代が進み73年、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの名を世界中に知らしめた「Catch a Fire」、「Burnin’」がリリースされる頃には右も左もワンドロップ(もしくはワンドロップの発展形)。
ここまでくると音楽はもう完全にロックステディと明確に区別ができる別の何かに変わっていました。

1973年。ここまでくると完全にレゲエ。

70年代、ジャマイカ国内で起きた二大政党間の争いは内戦と言ってもいい様な酷い状況だったそうです。
そんな時代を潜り抜けるために人々をサポートし続けた音楽。
抑制のきいた隙間の多い演奏は歌い手のメッセージを正確に伝える…それと同時に最高のダンスミュージックでもある ー レゲエの誕生です。

それから

70年代に世界的に人気のジャンルとなったレゲエはその後も進化、変化を続け80年代にはサブジャンルにしてはあまりに巨大なダンスホールレゲエ、イギリスではレゲエバンドの活躍やラヴァーズロックやニュールーツといった音楽を生み、パンク/ニューウェーブとも邂逅。
HIPHOPやクラブミュージックへも影響を与え今現在もその流れは途切れることがありません。

またレゲエは様々な土地にも根を張りその数を増やしています。
ここ日本でも70年代から様々なアプローチでレゲエに取り組み、オーセンティックなスカやレゲエを聴かせるグループや最新型のASOUND、井の頭レンジャーズやOnegramのようなカバー曲中心のグループもいい仕事してます。
度々起きるレゲエブームを一過性で終わらせずに今やしっかりと根を張った感のあるジャパレゲシーンも頼もしいしカッコいい。
名古屋だったらルード・プレッシャーズにスカイラーキング、地元のサウンドシステムやプロデューサーもファンを楽しませ続けています。

ダンスホールレゲエシーンは相変わらず元気だし、かつてのルーツレゲエを思い起こさせるレゲエ・リヴァイヴァル系のアーティストもかなり良い。
ジャマイカやイギリスだけでなく今や欧州全域はもちろん、ほど近い台湾、韓国、中国にタイやフィリピンなどの東南アジアでもたくさんのレゲエが制作されて日本のミュージシャンとの交流も盛んにおこなわれています。

いろんなスタイルに枝分かれしてもレゲエというベースがあるのでミュージシャン同士の交流も活発なのが素敵です。ダンスホールとルーツの境目を行き来しつつ他ジャンルと絡んだりなんてこともしょっちゅう。

これだけレゲエが溢れている今、今だからこそレゲエ好き!とまでいかなくても、レゲエもたまに聴きますよ~って人がもっともっと増えると嬉しいなと。

そこで少しでもレゲエの入り口に近づきやすくなるよう、おせっかいなコラムを書いてみることにしてみました。

前置き書いていたら長くなってしまいました。好きすぎて。
本当はもっと長かったのですがこれでもかなり削ったのでEase Mi Up。

あの名曲がレゲエに!カバー曲から入る

レゲエにあまり馴染みが無い人向けってことで書かせてもらっていますが、名曲や名盤は今どきネットや素晴らしいディスクガイドもありますからそういったことはそっちにまかせることにします。

じゃあ何がいいかな..と考えたときにやっぱりレゲエカバー曲なんか入りやすいんじゃないかということで、そんなカバー曲のなかでもオススメかつサブスクリプションサービス等で気軽に聴けるものピックアップしてみました。

ロック名曲カバー

私はロックから音楽の道に入りましたが当時はこんな洒落たカバーなんて無かったな…。
こんな曲たちと出会えていたらレゲエ沼へ落ちるのも早まったんじゃないか、と思えるようなものをピックアップ。
最近ほんと良いカバーが多いです。

Little Roy / Come As You Are (2011)


ヴェテランシンガーのリトル・ロイによるニルヴァーナのカバーアルバム「Battle For Seattle」に収録。
このアルバム、勢いあまってカート・コバーンが愛したヴァセリンズの「Son Of A Gun」までやっているというNuff Respect具合が最高。
プロデュースは覚えておいて損無いUKのプリンス・ファッティー。

「Come As You Are」はかなり分かりやすくワンドロップで、もともとレゲエだったんじゃない?ってくらいのハマりっぷり。この手のロックカバー企画にたまにあるレゲエ風音楽ではなくて、がっつりレゲエなので入り口としては良いはず。
プリンス・ファッティーはほんと良い仕事するのでこの曲が気に入ったらまず彼の音楽をチェック。
この曲の緩めなトロンボーンソロにぐっと来たらリコ・ロドリゲスというトロンボーン奏者もオススメ。

Earl 16 / Universal Love (2016)


こちらも大ヴェテラン、アール16の「Natty Farming」に収録。
タイトルが違う上にマイナー調にアレンジされてるので分かりにくいが、ブラーの「Tender」カバー。
原曲のもつ穏やかな雰囲気とは打って変わってこのアレンジだとかなりシリアスなルーツレゲエに大変身。
この曲を取り上げるってもうほんと…最高。
これが気に入ったら「あれ?わたしもしかしてルーツレゲエ分かっちゃった?」って思ってOK。
音は最近のアルバムだけあってモダナイズされているのでこの音が気に入ったら「レゲエ・リヴァイヴァル・ムーヴメント」で調べてみると色々見つかるかも。

Sticko / Wonderwall (2022)


日本!ジャパニーズレゲエ界の凄い人STICKOによるオアシスのカバー。制作にはレゲエセレクターのICHI-LOW、BIM ONE PRODUCTION、レゲエシンガーasuka andoのバンド、dub u setのARI等が。
気になった曲の関係者から辿っていくのも次の扉へ向かう近道!

The Dynamics / Seven Nation Army (2007)


フランスのレゲエバンド、ザ・ダイナミックスによるホワイトストライプスのカバー。原曲の良さがしっかりと残るアレンジがナイス。レゲエはちょっと薄めて使っても良いグルーヴが出る。
ザ・ダイナミックスやその周辺には秀逸なレゲエカバーがたくさん。
ダイナミックス以外のカバーが得意なミュージシャンにはMato、Lord Echo、Taggy Matcher、Grandmagnetoなど。

ビートルズ人気はどの国でも変わらなかった…ビートルズカバー

ビートルズは凄い、ほんとうに凄い。ストーンズやキンクス、ザ・フーをはじめ60年代後半といえばブリティッシュ・インヴェイジョン。その大波は旧イギリス領ジャマイカをも覆い尽くす….ことはありませんでした。
みんなそのころはスカやロックステディに夢中だったから。
でもビートルズだけは違った…。
とにかくカバーが大量。さすがビートルズ、凄い。
ビートルズカバーはほぼリアルタイムなものから現在に至るまで数多くありますがその中から4曲だけピックアップ。

Marcia Griffiths / Don’t Let Me Down (1969)


ボブ・マーリーのバックコーラスグループ、アイ・スリーズの一員としても活躍したマーシャ・グリフィスのロックステディカバー。原曲とはかなりノリの違うダンスナンバーに仕上がっています。ぶっといベースに痺れっぱなし。この曲が気に入ったらThe Gaylettes/Son Of A Preacher Manとかもハマるはず。
レゲエよりもロックステディがお好きなのかも。

Soul Vendors / Darker Shade Of Black(1968)


こんなタイトルはビートルズの曲には無い、しかし「ノルウェイの森」のインストカバー。
…カバーというかメロディーを拝借しただけとも言えるので微妙なところですがカバーという事にさせてください。
スカタライツにも在籍した天才キーボーディスト、ジャッキー・ミットゥ率いるSoul Vendorsはスタジオ・ワンというレーベルお抱えのバンド。その後何人ものシンガーがこの曲、またはこの曲を時代に合わせアップデートしたリディムの上で歌うことになるモンスターチューン。
怪しく煙るこのオルガン、危険すぎる。

Louisa Mark / All My Loving(1975)


イギリス、ロンドンです。洗練されたアレンジがロンドンらしいカリブ系移民2世のルイーザ・マークによるカバー。レゲエの重要なサブジャンル、ラヴァーズ・ロックは彼女の声無しには生まれなかったかも。
この曲が気に入ったらもうラヴァーズ・ロックが好きということで間違いなし。
RELAXIN’ WITH LOVERSシリーズをはじめ優秀なコンピがあるのでぜひ。

次に進む道が見えるって意味でおすすめしたいコンピはデニス・ボーヴェルというプロデューサーが関わったラヴァーズを集めた「The British Pure Lovers」、「The British Core Lovers」。
そしてラヴァーズ・ロック職人はデニスの世を忍ぶ仮の姿なので、彼の名前をキーに色々と探してみるときっと楽しい。

Ruddy Thomas / Ticket To Ride(1981)


ぱっと見ソウルシンガーのような出で立ちのルディ。レゲエにしてはちょっと変わった4ビート風のリズムと時代を感じるピュンピュン電子音がクセになる名カバー。
この曲が収録されている「First Time Around」にはジャクソン5の「Shake Your Body Down To The Ground」も。
プロデュースはジョー・ギブス、この人も覚えておいて損は無し。
ジョー・ギブスの仕事を集めたコンピレーション、「Joe Gibbs 12″ Reggae Discomix Showcase」シリーズはレゲエの12inch Discomixという同一リディム使いのシンガーが歌った曲とディージェイが歌った曲 or ダブバージョンをくっつけて長くしたというもの。

レゲエの兄弟?従弟?ソウルカバー曲

スカやロックステディがブラックミュージックに影響を受けその後にレゲエが誕生したわけなので、
ソウルはレゲエの血縁関係。米を肴に日本酒を飲むみたいなモノです。合うにきまっているんです。

Elizabeth Archer & The Equators / Feel Like Making Love(1977)


またまたイギリス産。時代的にもリリックの内容的にもこれはもうラヴァーズ・ロック。数多のアーティストがカバーする名曲をアッパーレゲエチューンに仕立て上げたこの人たちの事がめちゃくちゃ気になるものの情報無し。不安定なヴォーカルが可愛すぎる。

Jimmy Lindsay / Ain’t No Sunshine(1979)


レア・グルーヴ好き御用達のグループ、サイマンデでヴォーカルを務めるジミー・リンゼイのビル・ウィザーズカバー。メロウに始まったと思ったら容赦なく悲しみの底へ叩き込むヘヴィーレゲエチューンへ突入する、その瞬間空気が変わる感じがたまらない。フィッシュマンズが歌っている「カモンロッカーズ!」ってこういう感じか…と勝手に思ってます。

悲しいメッセージをより悲しく響かせるヘヴィーなレゲエとの相性が抜群。
この曲もレゲエカバーが多くかなり迷った…ぜひぜひほかのカバーも探してみてください。

Move On Up / Devon Russell(198?)


カーティス・メイフィールドのカバー。これがまたアレンジが上手で原曲越えもあるんじゃないかってくらい素晴らしいカバー。カーティスの音楽をリスペクトするレゲエミュージシャンはほんとに多く、このデヴォン・ラッセルにいたってはアルバム丸ごとカーティスカバーなんて作品も制作するほど。

この感じが気に入ったらまたまた良質コンピレーションを紹介。硬派なソウルチューンのレゲエカバーが詰まった「Darker Than Blue: Soul From Jamdown 1973-1980」をチェック。

Junior Murvin / Rasta Get Ready


インプレッションズ、つまりカーティス・メイフィールド。「People Get Ready」のカバー。
所々リリックをラスタ風に変えて、ラスタファリアンにとって重要な思想、「アフリカ回帰」の歌にしています。洞窟の中を思わせる湿度高めな独特のエフェクトはプロデューサー、エンジニアのリー”スクラッチ”ペリー。

このサウンドが気に入ったら「リー・ペリー ブラックアーク」で調べると楽しめるかも。
ブラックアークっていうのはリー・ペリーの自宅にあったスタジオの名前。

Otis Gayle / I’ll Be Around(1972)


音楽好きのジャメイカン、フィリーソウルももちろん嗜みます。
山下達郎氏も愛してやまないスピナーズのカバー。原曲のウキウキする感じとは打って変わって穏やかなアレンジ。どうですか、この辺りまで来るとレゲエミュージシャン達の腕前、センスに畏怖の念すら感じてきませんか、良すぎて。

この甘くふくよかな音にもっと包まれたいなら同時期にこの曲と同じレーベルからリリースされたジョニー・オズボーン「Truths And Rights」というアルバムがオススメ。
収録曲のひとつ「We Need Love」はこの曲と全く同リディム使用。

New Age Steppers / Some Love(1983)


チャカ・カーンの1stソロ「Chaka」収録のディスコ・ファンクチューンのカバー。ジャマイカ、イギリスのレゲエに欠かせないミュージシャンに加えスリッツのアリまで参加するポストパンク ミーツ レゲエな奇跡のグループ、ニューエイジ・ステッパーズの3枚目に収録。
10代からロンドンのレゲエ界で活躍するプロデューサー、エンジニアのエイドリアン・シャーウッドが率いるレーベル、On-Uサウンドの看板グループ。誰がこの曲やろうと言い出したのか謎ですがちゃんとこういう音楽も聴いてるところがニクい。センスが良すぎる。

この曲の雰囲気が気に入ったらやっぱりON-Uがオススメ。その中でもかなりルーツレゲエ寄りなシンガーズ&プレイヤーズというグループは◎。参加しているシンガーも多数いるので好みの声が見つかるかも。

Jackie Mittoo / Fancy Pants(1971)


出た。タイトルが変わっているパターンです。このタイトルからまさかマーヴィン・ゲイの「What’s Going On」のカバーだとは誰も思うまい…。
ビートルズカバーの項でも登場したThe Soul Vendorsのリーダー、ジャッキー・ミットゥーのカバー。
この人が関わったリディムは何度も時代を越えて甦り現在でもバリバリ現役。出かけた先でかかっているレゲエに「おっ!」てなる回数が増えること間違いなし。
ジャッキー、聴いておいて得しかないです。

ジャズ

レゲエの元を辿るとスカ、そしてスカの元となった音楽のひとつがジャズ。
スカを作ったミュージシャンはジャズプレイヤーでもあり、その後も彼らは活躍し続けています。
そうなるとジャズのレゲエカバーはごくごく自然な流れでってことになります。

ただそこはレゲエ、自分たちの土俵で勝負。そんな様子が分かるこの曲からご紹介。
ジャズがきっかけでレゲエも好きに..お洒落過ぎる入り方してみたかった…。

Rico Rodriguez / Take Five(1979)


デイヴ・ブルーベック・カルテットの超有名曲をトロンボーン奏者リコがカバー。
5/4拍子故のこのタイトルなのに4/4に矯正されてます、その方が踊れるし。
Take Fiveのレゲエカバーはリコのこの曲以前から多く存在し、中には勝手に歌を乗っけてるものも多数。
例えばジェイコブ・ミラーというシンガーの「Standing Firm」やUブラウンの「Blow Mr Hornsman」とか。
こういう曲を探したり、たまたま出会ったりするのもレゲエの醍醐味!

The Horus All Stars / Cristo Redentor(2023)


ジャズトランぺッター、ドナルド・バードのナイスメロウチューンをカバー。
めちゃくちゃ良いグルーヴ出てるんですけどこのグループ謎が多くて詳細不明。
唯一分かったのがイギリスのレゲエレーベルお抱えのバックバンドって事だけでした。

今じゃなかなか見かけないこういうミステリアスさもレゲエワールドにはたくさん残っています。

Roland Alphonso / Song For My Father(1967)


ジャズのカバーはスカ時代から!スカタライツのサックス奏者ローランド・アルフォンソによるホレス・シルヴァーの有名曲カバー。
あの異国情緒のある怪しくも哀愁のあるメロディーがスカとの相性抜群。
スカはジャマイカ以外ではジャマイカンジャズと紹介されていた、という事を何かで読みましたがこの曲を聴くと納得。
ほかにはスカタライツによるリー・モーガンの「Sidewinder」もキラー。

番外編

ほかにも色々!なんでもありなレゲエカバー、レゲエにハマりたての頃クラブで「こんな曲もやっちゃうんですか!」ってテンションぶちあがった曲達をご紹介。そして今でも余裕でぶちあがります。

MOOMIN / Adapt(2006)


カバーアルバム。陽水の「リバーサイド ホテル」にサザンの「夏をあきらめて」、泉谷しげる「春夏秋冬」にエルヴィス・コステロ「Alison」!

Sanchez / Baby Can I Hold You(1989)


ダンスホールレゲエ界屈指の人気シンガー、サンチェスが歌うトレイシー・チャップマンのヒット曲。
原曲が1988年なのでカバーして世に出すまでのスピード感が気持ちいい。流行っているうちにカバーするのも昔からの伝統。レゲエらしい陽気さの中にもほんのり切なさが残る名カバー。
90’sダンスホールレゲエシーンを代表するレーベル、Exterminatorからのリリース。

Wayne Wonder / Eternal Flame(1990)


バングルス、89年リリースの全米No1ヒット曲を翌年にウェイン・ワンダーがカバー。
Exterminator同様に大人気なPenthouseからのデビューアルバム。声が良い!
70~80年代中盤くらいまでのラヴァーズロックが人気ですがダンスホールラヴァーズももっと聴かれるようになると嬉しい。
ウェインなら同じく80’sヒット曲カルチャー・クラブの「Karma Chameleon」もナイスカバーでおすすめ!

Junior Dell & The D-Lites / Jump Around(2023)


ハウス・オブ・ペインの「JUMP AROUND」。英国オーセンティック・スカバンドによるカバー。
正直HIP HOPのカバーって想像だにしてなかったので初めて聴いたときは大喜びでしたよ。
他にもフランスのレゲエ職人Matoがやったウータン・クラン「C.R.E.A.M」とか。
HIP HOPカバー、ヤバ~~~ってなること必至。

Skatalites / Ringo(1965)


スカオリジネイター、スカタライツによる美空ひばり「りんご追分」のカバー。
メロディーは確かにりんご追分。なぜこの歌がジャマイカに伝わったのかを推測する記事も面白い。
この曲を聴いてから美空ひばりさんの歌がかっこよく聴こえるようになりました。
まさかスカから教わるとは、ありがとうスカ、ありがとうレゲエ、ありがとうジャマイカ。
2024年は日本とジャマイカの国交樹立60周年。これからもよろしく。


どうでしょう、少しレゲエに興味を持ってもらえたでしょうか。

ほんとに何度も言いますがレゲエカバー曲はめーーーーちゃくちゃ沢山あります。
そして今現在も新たな名カバーが誕生し続けています。
地球上に1日数曲ペース誕生しているって言われても信じちゃうくらい。

みなさまが素晴らしいレゲエカバーと出会えること、そしてその先により良いレゲエライフが待っていることを願っております。

カルチャー

カバー曲から興味を持っていただいて、少し時間が経ってレゲエもちょくちょく聴くようになったと仮定しまして、ではもう少し踏み込んでみましょう!という事で書かせていただきます。

レゲエは音楽そのものも素晴らしい上に音楽を育む土壌となったその独特なカルチャーもまた面白い。
レゲエにハマりたての頃はとにかく他のジャンルではあり得ない事が多すぎて、刺激だらけでした。
知らなくてもレゲエは楽しいですがレゲエを形作る物事をかじっているとさらに楽しい。

パトワ語

ジャマイカのパトワ語は植民地時代にルーツを持つ、主に英語と西アフリカの言語が混ざり合って生まれたクレオール言語(異なる言語同士が接触して生まれた新しい言語)です。
このパトワの響きがとにかくカッコよくて。

実際に映画などで聴いてもらうのが一番ですが例えば「Think(シンク)」が「Tink(ティンク)」、「Hospital(ホスピタル)」が「ospital(オスピタル)」というようにhを発音しなかったり、私を意味する「I」が「Mi(ミ)」、否定形の「Don’t」が「No」や「Nuh(ナー)」になったり(なのでI Don’t KnowはMi Nuh Know)…。
書いていて絶対に伝わってない自信がありますがやたら響きカッコいいのです。
ぜひレゲエ関連の映画や映像でパトワ語での会話を聴いてみて下さい。

ディージェイ

歌い手のスタイルの一つ。リズムやビートに合わせてリズミカルに話したり語ったりする、アフリカの伝統的な口承文化トースティングをルーツに持つラップとは似て非なるレゲエ特有のボーカルスタイル、そしてパトワの響きが最も映えるスタイル。で合っているのかな…。

現在DJと言うと2台のターンテーブルを操るDJの事を指す場合が多いですが、この場合のDJという呼称はディスクジョッキーがルーツにあるような気がします。
曲の紹介等の喋りを交えつつ選曲しプレイするラジオDJや、客を煽りながらプレイするかつてのディスコDJで言う”DJ”、ディスクジョッキー。

ジャマイカではサウンドシステムと呼ばれる移動式のディスコ/クラブで、そのようなマイクを持って選曲するDJが居ました。
その中でも気の利いた合いの手やお喋りを連発し、客を盛り上げるDJは人気者となり、とうとう70年頃にキング・スティットという人気DJのお喋りをフィーチャーした曲も制作されました。

King Stitt / Fire Corner(1969)


キング・スティットの軽妙な合いの手から当時の雰囲気が伝わってくるようで大変愉しい一曲。
まだまだ企画モノ、色モノな感じも否めないものの、この人が居なければその後に続く天才も世に出てこなかった。
そして後に続いたのはUロイ。レゲエ界の重要人物、レゲエディージェイの父。

U Roy / Wear You To The Ball(1970)


Uロイの初期の記録のひとつがアルバム「Version Galore」にも収録された「Wear You To The Ball」。
UロイはそれまでのDJとは違い調子の良い合いの手に留まらず、元々ある曲に合わせてリズムに乗りメロディに合わせ、メッセージを含んだリリックを持ち込みました。まさにトースティング。
パラゴンズの67年のロックステディヒット曲の上でUロイがトーストする、ヒットした原曲よりもさらにヒットした名曲です。

そしてさらに進化したその5年後の曲がこちら。

U Roy / Natty Rebel(1976)


グラディエイターズによるボブ・マーリー「Soul Rebel」カバーの上でUロイがトースティング。
入ってくるタイミング、スムースな語り口、時にメロディも付けながら乗りこなす様は明らかに5年前よりもネクストレベル。
このUロイがディージェイというスタイル、枠組みを作りその中で次世代のディージェイたちが育ったり羽ばたいたりしてくことになります。

有名なディージェイを挙げればキリがない上に書籍やWebサイトで紹介もされてるので、レゲエ初心者だったころにハマったディージェイと曲を紹介しておきます。

Dillinger / Cokane In My Brain
フィリーソウル、ピープルズ・チョイスの「Do It Any Way You Wanna」を拝借したリディムにディリンジャーのルーディーなトースティングが乗るキラー。

Dr. Alimantado / Poison Flour
ホレス・アンディによるパラゴンズのカバー「A Quiet Place」と同リディム。元曲のボーカルパートを残しつつ分量多めな合いの手を入れる”トークオーバー”スタイル。ロンドンのパンク達にも人気のあったというアリマンタドの人気曲、しかし”毒小麦粉”とは如何なるものなのか。

Big Youth / Screaming Target
ドーン・ペン「No No No」のトークオーバー。ディージェイネームは”背が高い若いやつ”の意。
剣呑なタイトルにぴったりの危険なムードが◎。
ソニック・ユースのサーストン・ムーアがここから名前を拝借し自身のバンド名としたのは有名?な話。

Clint Eastwood & General Saint / Stop That Train
イギリスを拠点に活動したディージェイコンビ。トラディショナル名曲500マイルを参照したと思われるスパニッシュトニアンズによるスカ名曲を息の合った掛け合いで気持ちよくカバーしたヒット曲。80年代前半らしいアーリーダンスホールサウンドにコンシャスなメッセージを乗せたコンビネーション(複数ディージェイものをこう呼びます、大体2人だと思う)。

Yellowman / Zungguzungguguzungguzeng
アルビノの黒人として生まれたために親に捨てられ差別され、しかしそれにも負けず蔑称の「イエロー」をディージェイネームに選びジャマイカやイギリスで大人気となったタフな男。スラックネス(下ネタ)スタイルだけどその中には結構マジなメッセージが隠れていたりする。Zungguzungguguzungguzengと唱えれば勇気が湧いてくる気がしませんか?

Brigadier Jerry / Jamaica Jamaica
ダンスホールレゲエもすっかり浸透、スラックネスも増えてきた85年にコンシャスなメッセージを届け続けたブリギー作裏ジャマイカ国歌。Answerリディム使いの中でもかなり好き。朗々と語りかけるようなトースティングが渋すぎる。B面のダブと合体したディスコミックスバージョンがお薦め。

Supercat /Fight Fi Power
80年代後期、90年代前期を代表するダンスホールディージェイ。Catというのはインド系移民を指すスラング。スーパーインド系。過去には殺人容疑や発砲事件などヴァイオレンスな一面もありますが、社会的な問題をテーマにコンシャスでポジティヴなメッセージを届けるゲットーヒーロー。この曲では過去から現在まで続く権力との闘いについて歌っている。男の中の男。

サウンドシステム

移動式のディスコ/クラブ、と説明されることもあるけどやっぱりサウンドシステムはサウンドシステムとしか言いようのない個性があると思っています。
このサウンドシステム、元々はジャマイカで1940~50年代に生まれたスタイル、娯楽産業の形です。

日本でラジオやテレビが登場したての頃、商売人たちが客寄せのためにラジオやテレビを店に置くのと同じような発想に近いと思いますが、ジャマイカではアメリカ産のレコードを床屋や八百屋、酒屋、金物屋がアンプにスピーカー、ターンテーブルといった音響機材をそろえて店先でかけて客を集めるということから始まりました。
そのうち街の広場にサウンドシステムを持ち出し酒や食べ物も売っているうちに本業より稼げるぞ、という事になり次第にビジネス化していきます。

ほかじゃ聴けない曲を選曲をするセレクター(一般的に言われるDJ)、観客を盛り上げるMC、音響機材のメンテナンス、オペレートするエンジニアなどなど色んな役割を持った人がそれぞれ集まり、街にはいくつもこのようなグループ、チームができその集団をそのまま”サウンドシステム”と呼びました。
※単に”サウンド”と呼ぶこともあります。またサウンドシステムが行う興行、イベント、パーティーの事は”ダンス”と呼びます。

DJチームとかユニットと違うところがまず音響機材、システムも所有しているかってところ。
しかもただの音響機材ではなくて、こだわりのアンプにケーブル、そして壁のように積まれたスピーカー。
初見ならだれもが興奮すると思います。
出来立てのサウンドはシステムを持っていない場合もありますが、先輩に借りたり既製品も混ぜつつなんとかシステムを組んだり、システムを持ち込む必要のない箱でダンスを主催したりしてファンを増やしお金を貯めて、そのうち自前のシステムを制作するわけです。
ファンが応援しサウンドも成長、そうして双方に強い絆が生まれるのも魅力の一つ。

ではそんなサウンドシステムの魅力を紹介したいと思います。

ド迫力音響

50年代の黎明期は質素なものだったようですが今やサウンドシステムと言えば壁のように積まれたスピーカー。
私が初めてサウンドシステムを体験したのは2004年、代々木公園でのOne Love Jamaica Festival。
日本のレゲエディージェイオリジネイター、ランキン・タクシーさんのサウンドシステム「TAXI Hi-Fi」。
トレードマークの青いスピーカーユニットがまさに壁のように並んでおり圧巻。

ジャークチキンとビール、80’s~90’sダンスホールにルーツ、ロックステディ。
普段聴いていた曲も1000%増しでかっこよく聴こえる魔法のような音、環境でした。

この量の機材を制作して保管してメンテナンス、ダンスの時は動作確認して運搬、設置してダンスが終わったら撤収。ほんと頭が下がります。

サウンドシステム、体験してみたいですよね。
結構身近にあるのでうっかり体験している人もまあまあ居るのではないかとも思っていますが、各エリア毎にサウンドシステムがちゃんと居てくれたりまします。
当店がある愛知/東海地方エリアだと祝結成30周年、三河の「FUJIYAMA SOUND」や名古屋の「TOTALIZE」、「BANTY FOOT」!

システムは持ち込まずに音響設備が整ったクラブで行われるダンスもありますが、街中で行われるイベントや港の方、山の方など大きな音を出せる場所で野外ダンスもやっていますので、まずはサウンドシステムが運営しているSNSで情報収集するのが吉。
地元でやっていたらもう最高にラッキー。
あとは久屋大通公園やモリコロパーク等で行われるレゲエやジャマイカ関連のイベントはとんでもなく気軽に入れます。

県外、エリア外のサウンドも来てくれることがあるのでエリア外のサウンドもチェックしておくとなお良し。
愛知からそう離れていないレゲエシティー大阪からは「Red Spider」や「Jah Works」が来ることもありますよ。

野外ででかい音でレゲエ、こんなに幸せなことは無いんじゃないかってくらいです。
ぜひどこかで体験して欲しい!

わたし自身しばらく味わっていない…当コラム書きながら久しぶりに行ってみたくなり今年のダンスを調べ中です。

MCがめちゃくちゃ喋る、かけた曲をすぐ変える、途中で止めて最初からかける

初めて行ったダンスが本当にこんな感じで何が起きているのかさっぱり分かりませんでした。
これはあくまでダンスホールレゲエのダンスの中に色々あるスタイルの一部だって事は後から知ったのですが本当に驚いたし楽しかった。おかげでその後何度もレゲエのダンスに足を運ぶことに。

セレクターなのかMCなのか一人で兼任してたのか記憶も曖昧ですが、俺はこういう事に対してこういう事を思っている、その気持ちをこいつが歌ってくれる、聴けや!みたいな事を喋りながら曲をかけ始めた瞬間が印象に残っています。リリックもめちゃくちゃ大事にしているところにかなり衝撃を受けました。
お客さんもちゃんとリリックの意味を知っていたり一緒に歌えたり、そういうところがかっこよかったのです。
当時自分は海外の音楽を聴いていても音しか聴いてなくて…。あれ以来可能な限りリリックも見るようになりました。

ほかに衝撃だったのが”めちゃくちゃ喋る”こと。
曲かけ始めた矢先にバックスピンのキュルキュル音、そのうえでMCがもっと騒げ!(サウンドの名前)のダンスだぞ!的なことを喋って煽ってもう一回頭からかけ直し。
そんな風にして曲の間に色々喋りながらどんどん次の曲、そしてホーンや機関銃のような音のSEが絶え間なく鳴っていて….サウンドとお客さんがお互いにダイレクトにコミュニケーションしているのが目からウロコっていうか、これ想像できますかね。
ぜひ体験して欲しいところですが国内、海外のダンスの様子は音源や映像で今ならすぐにアクセスできるのでぜひぜひ。

7inchシングルのB面にはいっている”バージョン”と呼ばれる歌抜きカラオケバージョンの上でシンガーやディージェイが歌う”ラバダブスタイル”、テンポ良く次から次へ繋いでいく”ジョグリン”(他ジャンルでのDJに最も近い)などなど色々なスタイルがあってほんとダンスの現場はエンターテイメント。

ダブプレート(スペシャル)

レゲエのサブジャンルにダブというものがありますがそのダブとこのダブはまた違います。
ダブプレートの事を省略してダブって言います。
ややこしい、と思われるでしょうが大丈夫、ちょっと慣れるとどっちの意味で使っているのか分かるようになります。

ダブプレート/スペシャルというのはサウンドシステムがシンガーやディージェイに依頼して彼らの既成の曲のリリックを少し変えて貰って、自分たちのサウンドシステムの名前や自分たちを讃える内容に変えて、そのサウンドシステム専用曲にカスタマイズしたもの。ライヴァルのサウンドを口撃するようなリリックを入れることもあります。
複数のサウンドが集まってどこが一番お客さんを盛り上げるか、支持を得られるかを競う”サウンドクラッシュ”というものがありますが、そういう場で発展したダブプレート文化。

自分の好きな曲があって、シンガーの事やその曲のリリックもある程度分かってて、そのダブプレートを聴いたときの興奮はとてもじゃないですが言葉じゃ説明できません。

有名サウンドだと現場でしか聴けないダブプレートを集めたミックスCDをリリースしていたり、ネットで音源公開してたりもしますが、多分ですけど公開してもいいやつを公開していて本当にヤバいやつはダンスに足を運ばないと聴けないようにしていると思います(し、そうであって欲しい)。

今ではクラッシュ用だけではなく冠婚葬祭用のダブプレートを録ることもあるようで、なんて素晴らしいカルチャーなんだろって思います。
これがどんどん広まれば”自分がプロポーズする時にあの人のあの曲のあのリリックをこうしてもらって”とか、
“よく行く飲み屋の10周年パーティーのために~以下同文”。

元々ロック好きだった私は”本人に依頼して替え歌を録ってもらう”ということがとにかく衝撃でした。ロック界でも流行るといいのに。

細かい事を言うと私がレゲエにハマっていた2000年代、替え歌カスタムしたものは”スペシャル”で、ダブプレートはその曲を制作したレーベルやプロデューサーが、正式リリースする前にテストカッティングした盤(例えば、歌や楽器が一部分だけカットされたような別ミックス)、制作中の曲をダンスでかけてお客さんの反応を見るためにカットしたテスト盤など、製造過程的に創る側の人たちしか手にすることのできないものという理解をしてました。
今でもそういう意味でのダブプレートを作っている人達は大勢居ますし、ダブステップのクリエイターは完全にそんな感じですね。

ダブプレートもスペシャルも複製して売ればそれなりに売れると思うんですけど、持っている人や作った人はそんな事しないし、運よくダブプレートをもらった人は宝物のように大事にしてたように思います。
やっぱり足を運んでくれるお客さんのためのとっておき、スペシャルってことなんでしょうかね。
商売っ気も持っているけどそういうプライドとか義理堅いところとか、カッコいいですねやっぱり。

ダンスホールレゲエ

ルーツレゲエの流行は80年頃まで続きその後に大流行したのがダンスホールレゲエ。
ルーツレゲエは70年代を通してリズムや音響面、最新電子楽器の導入などマイナーチェンジはするものの基本的な部分は変わらず、リリックもシリアスな内容の曲が多めという状況でした。
ボブ・マーリーを皮切りに様々なアーティストが世界に羽ばたく一方で、ジャマイカローカルの人々にとってルーツレゲエは身近なもの、自分たちのもの、という感覚を持ちにくくなっていたようです。

そういう状況の中で70年代の終わりに、新しいスタイルのレゲエを始めた一人と言われているランキン・スラックネスことジェネラル・エコーが登場します。

見た目からしてシリアスなメッセージが飛び出してくる訳が無いこのアルバムは、下ネタやラフな言葉が飛び交うスラックネスというスタイルのアルバムでした。
このスタイルの登場がシーンを少しずつ変えていき、ダンスホールレゲエというジャンルにまで発展していきます。

このスラックネスLP、ただただリリックの内容が下品なだけでバックトラックは当時最新のルーツレゲエとなんら変わりないので、ルーツレゲエとダンスホールレゲエは音楽性ではなく扱うテーマによって枝分かれしたと言えそうです。
そしてこのスラックネスを含めた、ルーツレゲエよりも良い意味で下らない事柄、身近な事柄をテーマにしたリリックは人々に喜ばれたのでプロデューサー達もこぞってこの新しいレゲエを制作していきました。
ただ、ルーツレゲエ的なテーマもまったくのゼロになったかというとそうではなく制作される分量、バランスが変わったという事です。

また音も人々の楽しみ方に合わせて変化が進んでおり、ルーツレゲエより明らかに音がスッキリと整理され、洗練された都会的な音になっています。
この頃の音を象徴するレーベルにVOLCANOがありますが、このレーベルのプロデューサー、ヘンリー”ジュンジョ”ロウズのコンピレーション「Volcano Eruption: Reggae Anthology」がヤバいので紹介しておきます。

バックバンドはルーツ・ラディクス、エンジニアはサイエンティスト。70年代のレゲエと比べるとかなり今どき。最新のルーツリヴァイバル系の参照先のひとつ。

そして1985年、キング・ジャミーのレーベル、Jammysからリリースされたウェイン・スミスの1曲「Under Mi Sleng Teng」がダンスホールレゲエの世界を一変させました。

レゲエを永遠に変えてしまった大事件、それがこの曲。通称スレンテン。

この曲は初めて電子音によるトラックで制作されたレゲエであり、この曲の登場を機に一気に音楽制作の現場でデジタル化が進むこととなりました。

ちなみにこのトラックは日本のメーカー、カシオ計算機が81年に発売した電子キーボード、カシオトーン MT-40のプリセット音源。
以下の記事がとても面白かったのでリンクを掲載しておきます。
レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん

このデジタル化の流れをコンピュータライズドと呼び、ここから一気にダンスホールレゲエの生産量も増加、90~00年代にはダンスホールレゲエは黄金期を迎えます。

その間には揺り戻しとして真面目なメッセージを歌うルーツ・リヴァイヴァル、ヒップホップを取り込んだラガ・ヒップホップ、ラスタでありつつギャングスタなギャングスタ・ラスなど様々なスタイルが生み出され、世界的なヒットを出すスターを何人も輩出するまでになりました。

そして現在ヒップホップはもちろんR&BやEDMなども取り込み(その逆も然り)ダンスホールレゲエの境界はかなり曖昧になってきています。
それでもやはりレゲエとして認識されているのは、レゲエがヒップホップと同様にただの音楽形態を表すものではなくもっと広範な、その周囲にある様々な人や事、歴史も含めての文化である事の証。

ルーツレゲエは好きだけどダンスホールは…と思っている方にはぜひダンスホールレゲエ、一歩踏み込んでみていただきたい。

ラヴァーズ・ロック

70年代後半、イギリスに移住してきたジャマイカ系を含むカリビアンコミュニティ(+アフリカからの移民)で発展したサブジャンル。
「ジャー!ラスタファーライ!バビロンを打倒しいつかアフリカに帰るのだ!」というストリクトリーなルーツレゲエも好まれたけれど生まれも育ちもイギリスという10代、20代の移民2世がこの頃にはいるわけで…。
日本でいう「戦争を知らない子供たち」みたいな、親世代とのジェネレーションギャップ。

イギリスなのでもちろん欧米のヒット曲も聴くだろうしディスコやソウルもジャマイカよりも触れる機会は多かっただろうと。
そんな状況の中で一生懸命スピーカーを設置して、パーティの場で「バビローン」とやってもなかなか女の子が来ない。女の子が来ないと男も来ない。

激しい差別、厳しい現実、パーティ会場に無事に辿り着けないこともたまにある。
そんな状況下で少しの時間だけでも楽しく甘い夢を見るロマンティックな時間を過ごしたい。
そういう若者が好んで聴いたのがラブソング系のレゲエ。
この事を知ったミュージシャンやレーベル経営者がラブい曲を積極的に制作し始めました。
移民を取り巻く様々な状況とそこから生まれる必要性に迫られてできあがったのがラヴァーズ・ロック。

甘くてロマンティックで、若い男女の恋の気分を盛り上げるレゲエ。
そしてこうした曲達の誕生によってシリアスな曲も再び輝きを取り戻す、胸に響くようになるわけです。

このラヴァーズ・ロック、メロディもアレンジも洒落ていて大変素敵な音楽なのですが小さなシーンの中で流通していた音楽だったため、一部の例外を除いて日本まで伝わることはありませんでした。
しかし2003年に「RELAXIN’ WITH LOVERS」というUKラヴァーズのコンピレーションシリーズがスタートすると少しずつ状況が変わり今となっては日本、ラヴァーズ愛好国。

ラスタファリアニズムの色濃いルーツレゲエは理解しにくい部分もあるかもしれませんが、この移民2世以降の世代が作ってきたレゲエは気分的に距離が近くて入り易いと思います。

そして「RELAXIN’~」に薫陶を受けた日本人ラヴァーズ・ロックプロデューサーのZunggu Zungguさんが先日ラヴァーズ・ロック・レコード・ガイド「ROMANTIC REGGAE SELECTION 1970s-1990s」をリリース。
何度目かのラヴァーズブームが来ているとかいないとか。
※この素晴らしい本については最後の方でも紹介しております。

そしてちょうど良すぎるプレイリストがありましたので紹介しておきます。
Zunggu Zungguさん、ありがとうございます。使わせていただきます。



ダブ

音楽好きな方なら誰しもが耳にしたことのあるであろうダブという言葉、そしてその言葉がカテゴライズする音楽。

今やレゲエのサブジャンルどころか「レゲエは聴かないけどダブならたまに聴くかな~」って人もいるくらいに人気ジャンルの”ダブ”。語源についてはまちまちですがダブプレートと関係ないわけもなく。

サウンドシステムの項に書いたように、ダブプレートは曲の製作者が正式リリースする前にテストカッティングした盤、制作中の曲が売れるかどうか調べるためのテストプレイ用にカットした盤などを指します。
カットしたばかりのアセテート盤をその晩のダンスでかけたりするわけですね、楽しそう!

レゲエのサウンドシステムオーナーは同時にミュージシャンやレコードレーベルの関係者、はたまたスタジオ経営者やエンジニアである場合も多く、サウンドシステムとスタジオの相互フィードバックが音楽の進化を促した面もぜったいにあったんじゃないかと。
※ここからダブとはまた別のトースティング、ディージェイというスタイルが生まれるのですが別の項で。

そしてこの関係がダブというジャンルへと発展していきます。例えばこんな感じ、あくまで私の想像ですけど。

あるとき歌無しのカラオケバージョンを聴いたお客さんがそれに対して大合唱、ダンスが大いに盛り上がったという事からことから始まり、すぐにサビだけ残したバージョンやベースとドラムの音を全面に押し出したミックス違いバージョン、一部分だけバッサリとドラム&ベースをカットしたバージョンなどが制作され、知っている曲の別バージョンにお客さんも夢中。
そしてとうとう別バージョンを集めたアルバムがリリース、独立したアートフォームとして一歩前進。

初期のダブアルバムとして有名なのは「Prince Buster/The Message Dubwise(1973)」や「Herman Chin Loy/Aquarius Dub(1973)」、「Impact All Stars/Java Java Java Java(1973)」などがありますが、音量バランスの変更や各パートの抜き差し、控えめなエコー、ディレイがエフェクト手法というかなり素朴なダブ。
そしてより過激なエフェクトが使われだした歴史的な作品「King Tubby/Presents The Roots of Dub (1975)」…挙げればきりがない上に素晴らしいディスクガイドやサイトもあるのでこれ以上は割愛しますが特に好きなダブアルバムを数枚紹介させてください。
※音源がサブスクリプションサービスでは聴けないものもあるのでダブの項ではジャケット画像のみにしました。

Augustus Pablo / King Tubbys Meets Rockers Uptown(1976)

ジャケ違いもありますが馴染むのはこのジャケ。中でも数多の音楽ファンをダブの虜としてしまった空前絶後の大大大名ダブがタイトルトラックの「King Tubbys Meets Rockers Uptown」。
メロディカ奏者かつプロデューサーでもあったパブロがジェイコブ・ミラーというシンガーと1975年に「Baby I Love You So」という曲を制作、その音源をもとにエンジニアのキング・タビーとパブロが制作したダブがこの曲。聴いた事が無い方はまず一聴。ぜひダビーになる前の原曲も併せて。

Augustus “Gussie” Clarke / Double Bubble(1978)

オーガスタス・ガッシー・クラーク制作のダブ。70年代初頭から現在まで大活躍、ダンスホールレゲエ全盛期にはMusic Worksレーベルでも成功、2000年代に入ってからのリアーナのシングルにもクレジットされていて驚かされたガッシーのダブ仕事の中でも一番好きなアルバム「DREAD AT THE CONTROLS DUB」から一番好きな曲を紹介。寄せては返す美しい音の波にただ心身を委ねるのみ。
しかしこのアルバム、プロデュースがガッシーって事とアートワークデザイナー名以外分からずエンジニアや原曲も分からない。この曲に歌が乗っているものが在るかもしれないと考えるともちろん夜も眠れない。

Matumbi / Bluebeat & Ska Dub(1979)

若松孝二監督、内田裕也主演の「餌食」で(個人的に)有名なUKのレゲエバンド、マトゥンビの「Bluebeat & Ska」という曲のダブ。UKレゲエ、パンク/ニューウェーブや坂本龍一周辺のファンならお馴染みかもなデニス・ボーヴェルのバンドです。
このダブ、なにかのベスト盤CDか12inch(しかも表記無し、B面に入っている)しかないという世話が焼ける可愛いやつ。
ミックスしたエンジニアも表記無しというよくある”詠み人知らず”状態。
デニスはエンジニアもやるのでデニスかな、とは思いますがなんとも。
1stアルバム「Seven Seals」収録の原曲が大好きでしたが当時はダブバージョンの存在を知らず、ある日遊びに行った先で聴いたときの感動の余韻が今でも残っているのでここに並ぶことになりました。

Mad Professor / Cool Runnings Mandela(1990)

こちらもUK、ARIWAレーベルのボス、プロデューサー、エンジニアのマッド・プロフェッサー。
甘酸っぱくてポップなラヴァーズロックから硬派な社会派ディージェイ、ジャマイカのレジェンドまで何があろうと一聴してARIWAと分かるハイクオリティな音がとにかく最高ですが、自分名義のアルバムも数多く制作しています。今回はライフワークとも言えるDub Me Crazyシリーズの「Pt. 10: Psychedelic Dub」収録のこの曲をピックアップ。イントロに被る日本語が私の気持ちを代弁してくれています。ぜひ聴いてみてください。
原曲はARIWAでも大活躍のディージェイ、Macka Bの「Get Rid Of Maggie」。

エンジニアは何をしている(た)のか?

スネアだけ、ギターだけ、ピアノだけ、ボーカルだけ、というように各パートが分離した状態の、レコーディング過程で作られるマルチトラック音源というものがあります。そしてそのマルチトラックをパート別に音量や音質調整、エフェクトをかけたりできる装置、ミキシングコンソール(ミキサー卓)があります。
ミキサー卓によって各パートの音を一つの曲として最高のバランスになるようにするのがミックスダウン、ミキシング。何を目指すかによって正解のようなものはありますが(スマホ×イヤホンでの再生を想定したミックスとか)より冒険的な、その極端な一例がダブ。

今は流石にパソコンを使う場合も多いと思いますが、各パートを同時に再生しながらリアルタイムで直観的に、まるでオーケストラの指揮者のようにミキサーを操作しエフェクトをかける様子はかつて謎に満ちていました。

しかし今は凄いことに見ることができます。
というわけで何をしているのかが少し分かるコンテンツを紹介しておきます。

Mad Professor – What’s Going On? – Live on FM 94/9 Radio
イギリスのレゲエプロデューサー、エンジニアのマッド・プロフェッサーが、マーヴィン・ゲイのマルチトラック音源を使ってダブしてます。
エフェクトのタイミングと手の動きが見えるのでダブへの理解が一歩の進むはず。


The Scientist mixes Ted Sirota’s Heavyweight Dub — “Stop & Frisk Dub”
キング・タビーの愛弟子サイエンティストがテッド・シロタという人のレゲエプロジェクトの音源をダブにしていく様子がミキシングコンソールを中心にしたアングルで観られる大変ありがたい動画。



以上、ダブの項でした。
こうしたダブアルバムはジャマイカ国内よりイギリスで売れ、そのほかカナダやアメリカでも売れたようです。
イギリスでは80年代前後にパンク/ニューウェーブと邂逅、そこで遊んでいた後のクラブミュージッククリエイターにも影響を与え、リミックスやエクスクルーシブ、VIPといったカルチャーが生まれるきっかけとなりました。

リディム

“リズム”の発音がパトワ語訛りになってリディム。日本ではリズムと発音する人も多くいます。

例えばクインシー・ジョーンズやレコード会社が凄腕ミュージシャンを集めてマイケル・ジャクソンの「BAD」をヒットさせても「せっかく高いギャラを叩いて最高のトラックができたんだからマイケルだけじゃ勿体ない、他のシンガーにもリリックを用意させて別の曲を作って儲けよう」…とはしませんでした。

それをやっているのがこのリディムというカルチャー。
リディムというものが前面に出てきた、バックトラックの事を”リディム”と呼ぶようになったのは80年代のダンスホールレゲエ期からですが、元々ロックステディの頃からトラックの使いまわしやリメイクは行われていました。

そして80年代後半にコンピュータライズドという大革命が起きるのですが、この辺りからトラック自体に名前が付けられ、”リディム”と呼ばれるようになりました。
元々レコードレーベルをやる人達は商売人、一度作ったトラックで曲を作って売れるならそれはそれは良いですよね。
権利、法整備状況の違い、ノリの違いからレゲエの世界では「もったいないからあと数曲作ろう」という事が行われていたのだと思われます。

このアイデアがアーティストが曲をリリースする際のハードルを下げ、リリース量の増加、音楽の進歩を促すベースになっていたと言っても決して大げさではなく、そこからスターが生まれるのはまさにジャマイカンドリーム。
ただ実際に著作権侵害で訴えられ、多額の賠償金が払えず破産したレーベルもあるのは事実..。
そういう面も決して無視はできないのですが一旦それは置いておいて続けますね。

リディム=歌抜きのカラオケバージョンにはそれ自体に名前が付いています。
リディムの製作者が命名する場合もありますし、そのリディムを使用してヒット曲が生まれるとその曲名がそのままリディム名になったりします。

有名なリディムや大ヒットリディムなどを挙げ始めるとキリが無いのでここでは一つ、私が愛する「Darker Shade Of Black Riddim」を例を挙げます。
カヴァー曲の項でも紹介したソウル・ヴェンダーズ「Darker Shade Of Black」という68年の古い曲が元となったリディム。

その中でもまず大のお気に入りがこちら。

Wayne Smith / Aint No Meaning(1984)

 
キング・ジャミーというプロデューサーのJammy’sがリメイク(新しく撮り直す)して何曲か制作してます。
コンピュータライズド前夜の電子音と生音の混ざり具合の丁度良さ、トリッピーなイントロの一発目のキックが入るところでトびます。重いベースラインに抜けるようなエコーエフェクトがかかったスネアの迫力がたまらないトラックの上に浮遊感のあるウェイン・スミスの歌声がトリップ感満点な激ヤバチューン。
Jammysの「Darker Shade Of Black Riddim」めちゃくちゃ好きなのにこの曲以外数曲しか聴いたことありません。

Mr Vegas / Lean With It(2007)


こちらはスライ&ロビーのTAXIレーベルによる2007年のリメイク。ミスター・ヴェガスのクセになる歌声が乗る中毒チューン。Jammysのリディムと比べると音像もスッキリ、都会感マシマシかつちゃんと「Darker Shade Of Black Riddim」。

他に同リディム使いだとチャック・フェンダーの「So Many Girls」、レディ・ソウ「Married Man」、パン・ヘッド「Dis The Program」などなどカッコいいものがたくさん。

Frankie Paul / Pass The Tu Sheng Peng(1983)


時代は戻って初期ダンスホール。ヘンリー”ジュンジョ”ロウズのレーベル、VOLCANOの「Darker Shade Of Black Riddim」。ルーツ・ラディクスのファットでタイトなリディムとジャマイカのスティービー・ワンダーと呼ばれた(もしくは自分でそう名乗った)フランキーの伸びのある歌声が気持ちいいヒット曲。

同じリディムでもレーベルや制作された年代によって音色の変化や上物の入れ方が違うのも面白いし、
シンガーが各々違う歌詞、メロディーを乗せるところも面白い。
聴く方も俺はJammysのコレ、わたしはSteely & Clevieのアレ、とかそれぞれお気に入りがあるところも楽しい。

リディムがとんでもない数存在する上に、そのリディムに対してさらにたくさんの曲が制作されてます。
好きな曲を見つけたらリディムを調べ、同リディム異曲を探すということが楽しくてひたすら繰り返してました。

お気に入りのリディムを見つけて、そこからまたたくさんの曲と出会っていってもらえたら嬉しく思います。

もっと知りたい!書籍、映像作品

座学も楽しい!オススメ書籍

インターネットが発達した現在でも活字に勝る情報源はなし!とはわたくしの言ですが、これは本当。数あるレゲエ本の中でもとりわけオススメの書籍を紹介しておきます。

REGGAE definitive



スカ、ロックステディ、レゲエの重要作品が網羅できる上に最近の本なので2020年頃までをカバー。
ジャンルではなく時系列でまとめてあるので音楽がどのように変化していったかが分かりやすくなっている。
レゲエに関するディスクガイドはこの1冊あれば充分なのかもしれない。

レゲエ・アンバサダーズ



2010年頃から歴史をさかのぼる形で進むユニークかつ入りやすい構成、55名のレゲエミュージシャンに対して行ったインタビューをまとめた本。現在トップを走るミュージシャンたちがどのような影響を受け、どう変化してきたかを振り返ることでレゲエの本質に迫ろうとする..というと難しそうですがめちゃくちゃ面白い本です。

ROUGH GUIDE TO REGGAE



歴史書でもありディスクガイドでもある多くのレゲエファンが手に取ってきたレゲエ大事典。
著者は「レゲエ博士」スティーブ・バロウとピーター・ドルトン。レゲエへの理解度向上に比例して音楽やカルチャーへの興味も激増する名著。

DANCEHALL REGGAE STANDARDS



ダンスホール・レゲエのディスクガイドは貴重。すこし情報は古いがまだまだ現役の名盤、名曲が掲載されており充分役に立つ。

DUB入門



ダブに特化した画期的なディスクガイド。レゲエ文化圏内の狭義のダブではなく手法/技術としてのダブを取り入れたクラブミュージックまでカバーする。

ラヴァーズ・ロック・レコード・ガイド ROMANTIC REGGAE SELECTION 1970s-1990s



ここ日本から出たラヴァーズ・ロックガイド。ラヴァーズ・ロック系の大小様々なレーベルや重要人物、そして当時を知るミュージシャンや関係者への超絶貴重なインタビューを掲載。それまでほとんど謎に包まれていたUKラヴァーズの世界をここまで詳しく紹介している本は前代未聞。ラヴァーズ・ロック愛に溢れる逸品。自分の知らないラヴァーズ・ロックがまだまだあり嬉しくて途方にくれました。ほんとうに素晴らしい逸品です。


どの書籍もその労力に頭が下がる思い…。今はそうでもないかもしれませんが、レコードのリリース年や作曲者や演奏陣の情報もほんと適当なので、それはそれは並々ならぬ苦労があったと思います。
そしてそんな厄介な相手にもかかわらずレゲエ関連の書籍ってまだまだまだまだあります。「ベース・カルチャー」に「ソリッド・ファウンデーション」、「ピープル・ファニー・ボーイ」に「キング・タビー ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男」etc…面白い本ばかり。
それだけ興味深く、魅力のある音楽/文化だという証。

ここに挙げた書籍はこのコラムの1億倍の情報量、質、密度なのでぜひ手に取ってみていただければ。

映像に勝るものなし!レゲエムービー、コンサート映像

ロッカーズ

70’sルーツレゲエの世界にどっぷり浸かれるレゲエムービー。ミュージシャンが本人役で出演していて話し方、身のこなし、ファッションなどなどかなり影響を受けました。どのくらい受けたかというと当時乗っていたHONDA スーパーカブに「ユダのライオン」の絵を描き込むくらい。ルーツレゲエの思想というか心意気を教えてくれるナイスな作品。貴重な動く演奏シーンも何度も見返しました、

One Love Peace Concert

硝煙立ち込める1970年代後半のジャマイカ、二大政党のJLPとPNPによる抗争はもはや内戦状態。この状況を打開すべくボブ・マーリーが78年に開催した2大コンサートのひとつ。後半はボブやピーター・トッシュ等の超大物のライブが収録されてますが個人的な見どころとしては前半。デニス・ブラウンやアレサ&ドナに極めつけはUロイ!動くUロイがカッコよすぎ。

Reggae Sunsplash 83

スカタライツにグレゴリー・アイザックス、シュガー・マイノット、リタ・マーリーにサード・ワールド。外からはなんとギル・スコット・ヘロンも参加。素晴らしいライブが良い映像と音で記録されている。

バビロン

80年当時のロンドンのレゲエシーンを取り巻く重苦しい空気が詰まった映画。アスワドのブリンズリー・フォードが主演し音楽はデニス・ボーヴェルが監修。ジャマイカを描いたロッカーズとは全く異なる手触り。異郷の大都市の片隅で生み出された冷たく重く、先の見えない不安と怒りが反映されたレゲエとその記録。
重い内容だけどファッションや劇中にかかる曲がとんでもなくカッコいい。

スモール・アックス

所謂レゲエムービーではありませんが、ぜったいに紹介したかった作品。
これまでほとんど日本に伝わってきていないイギリスでの人種差別問題についての理解が深まる必見作。スティーヴ・マックイーン(あの名俳優ではありません)監督による5本の映画で構成されたアンソロジー。
試しに第一話の「マングローブ」だけでも見てみてもらいたいです。
劇中トゥーツ&ザ・メイタルズのとある曲がかかるシーンで涙が止まらなかった。この映画を見た後で聴くレゲエはちょっとヤバい。
全話素晴らしいですが、当コラム的には第二話「ラヴァーズ・ロック」、第四話「アレックス・ウィートル」がかなりオススメ。劇中通して鳴り響くレゲエと共に彼の国の社会問題について学ぶことができます。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。書いた私の感想は「書き過ぎちゃった…」です。執筆時間をくれた店長、先輩、すみません、ありがとうございました。まさかこれほど自分がレゲエ好きだったとは。再発見の時間でした。

わたしは元々90年代後半の洋邦ロックから音楽が好きになり、クラブミュージックにヒップホップ、ソウル、ファンクほか色々聴いてはいましたがレゲエはちょっと近寄り難く、現代的なパキっとした音質に慣れていた耳には非常に原始的な、かっこ悪い音楽に聴こえてしまって。特にルーツレゲエやスカは音もモコモコスカスカ、パンチのない古い音楽、と思っていました。
もちろんボブ・マーリーは聴きましたし好きでしたがそれ以外は…。

それがあるときクラブでThe ProdigyのOut Of Spaceという曲に出会い、サンプリングされているのがルーツレゲエの名曲、マックス・ロメオの「I Chase The Devil」という事を知って。
で早速ロメオのアルバム「War Ina Babylon」を買い、DJができるバーでかけていたらお客さんが声をかけてきて。
「普段ロックばかりのお店だからレゲエ聴けると思わんかったわ。いいよねレゲエ、お兄さんレゲエ好きなの?」

で、「ほとんど知らないっす」と答えたところからその先輩による教育が始まって、そこからまた知り合いが増え友達ができレゲエにもどんどんハマり…という。今思えばまさにJah Guidance!って感じで。

なのでここに書いたことの半分くらいはその頃に教えてもらった音楽、本、映画からですね。
まさかこうして書き残す機会をいただけるとは。

少しでもレゲエや周辺のカルチャー、歴史について興味を持っていただけたら幸いです。